吉田松陰の真の狙い

歴史
吉田松陰は、外国に行くのは当時禁止されてるのに、敵に勝つのにはまず敵を知ることだと、アメリカに行こうとし、アメリカの船に乗りこみ渡航しようとしたが、当時アメリカに行くのは違法だった、失敗して牢屋に入れられたり、
幕府の対外国の政策に激怒し、
幕府の老中間部詮勝を暗殺しようとして、そのことを幕府の評定所で、そのことは聞かれてないのにわざわざべらべらしゃべってしまい、死刑となってしまったのだ。
これだけ見ると破天荒というか、クレージーというか、まともな戦略とか見識のある人とは思えない。
だが、私は勝手に思うのだが、これはそうではないと思う。
それは、吉田松陰は兵家の血筋の人で、当代一流の兵家だったのだ。
さらに、各地に遊学し、研さんし、当時の一等の知識人であった。
それだけ、豊富な知識があったのだから、こんな狂ったようなことをするとは思えない。
作家の司馬遼太郎さんは、小説の中で革命(明治維新は革命である)というのは、普通の状態では起き得ないと、それは生命の危険にさらされるのだから普通だったらそんなことはやりたくないと思うからだ。
なのでアルコールに酔ったような状態じゃないと行えないものだと、そういうアルコールにあたるものが必要なのだ。と言及している。
吉田松陰は一流の兵法家であったということは、ただ兵を率いるということに長けていただけではなく、兵の士気の上げかたとか、どう民を戦争に引きずり出すかとかそういう知識もあったのではなかろうか。
だから、吉田松陰は全て分かった上で、自分の命を代償に、長州藩全体にショックを与え、怒らせ、豪火をおこし長州藩全体をその中に引きずりこむために、
いわゆるアルコールを長州藩士、藩民に与えるために、こういったはちゃめちゃなことをしたのだろう。
吉田松陰は自分のことを狂夫と手紙に書いてあったりした。普通では革命なんから起こせないということなのだろう。
これらは全て兵法家としての計算通りだったのではないか。
だとしたら本当に”一流の兵法家”である。

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