山上容疑者について思うこと

時事ネタ

これまでの報道でこの容疑者がどういう人生を送ってきたか、どういう人物であるのかということが明らかになったが、

安倍さんというのは、現代日本の幸福、発展のいわば象徴であり、アイコンであったと思う。

そのアイコンをぶっ潰したかったのではないか、日本なんかいい国だ、幸せだなんて嘘だ!俺はコテンパンな目にあってんだぞ!こんなクソみたいな社会をぶっ潰してやると思い、そのアイコンを潰し、そのことによって日本、日本国民をも自分の道連れに奈落の底に引きずり落としたかったのではないか。俺をことごとくいじめぬいた社会なんかクソ食らえと。

今、主にテレビだと統一教会に恨みを持ってというのが動機としているが、

もしそうなら、普通に統一教会のトップ、幹部もしくは、日本支部のトップなりを狙うのが普通だろう、統一教会が憎いチクショーって、安倍さんにっていう論法にはならないだろう、普通に考えれば分かる。

安倍さんを撃つ前に、統一教会の施設を夜中の3時,4時に試し撃ちしたとのことだが、もし統一教会の人を狙うのなら、こんなことはしない、3時,4時に撃ったって誰にも打撃を与えられないし、そのあと、統一教会側は警戒するだろうから、容疑者は狙いにくくなる。

コメンテーターの人も、これはアリバイ作りで、他に本命はあるという、統一教会の人に恨みがあり、狙っていると見せかけるためのものだと言っている。私もそう思える。

これは、マスコミは安倍さんが嫌いなので、なんの確証もないのに、山上がそう言っているだけで、安倍さんは統一教会とつながってけしからん、だから殺されたのだと、安倍さんを悪者化し、山上を正当化しているのだ。

そこには、何度も言うが、なんの確証もないのだ。そうマスコミが何度も言うことによって、国民は洗脳され、そうなんだな、そうされてもしょうがないのかなとかいう空気になってしまっている。

あえて安倍さんをターゲットにしたというのが、この容疑者の悪どさ、思想、哲学が全部集約されているものだと思う。現代日本のアイコン、日本の救世主であり、この人がいなくなったら、日本国民は困り果てる、そこを狙ってやっているというこの悪どさ。

無論そうだとしたら、警察の聴取でそんなことは言えないはずである。世論はけしからんとなり、この人は一生日本で生活できない。統一教会を恨んでと言えば、そんなに反発を受けないし、同情さえされる、

山上はこのことを思い立ったとき、自分でもこれは悪魔だなと思い、自分の発想にうち震えたのではないか。そこで、これは絶対に隠さなければならないと、こういった嘘を言っているのではないか。

周到に、事件の前に、統一教会批判のフリージャーナリストの人に、統一教会に私は恨みを持ってましてという事件の動機を書いた手紙を送ったり、

これも、自分が捕まったら、この手紙がマスコミに公表されるだろうと計算して、

本当の動機とは別の動機を書いて送っているように思う。

犯人があえてわざわざ本当の動機をジャーナリストの人に送るなんて普通しないと思う。そこにはそういう計算があるとしか思えない。

そういうところとか、この人は凄い緻密にやっている、安倍さんを撃ったときも大騒ぎせずに、取り押さえられても抵抗しないし、そういう凄い冷静で緻密なところが、逆にこの人の思想の悪どさを凄く感じさせる。

ここまでだとあまり説得力がないように思う、理由が弱すぎるので、ここでNEWS

ポストセブンの作家の橘玲(あきら)氏の記事を引用します。

記者─山上容疑者が橘さんの書いた映画『ジョーカー』に関する記事をリツイートしていました。続けて別のユーザーとのやりとりの中で、〈ええ、親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ。〉という書き込みもありました。これは、犯行に至る背景を語っているようにも思えますがいかがでしょうか。 

橘:銃撃事件とその直後の報道で、映画『ジョーカー』と似ていると感じていたので、容疑者が私の記事を読んでいたというのは驚きました。『ジョーカー』では、主人公のアーサーには政治的・思想的な背景はなにもありません。

たしかに格差拡大への怒りで群衆が反乱を起こす場面が描かれてはいますが、アーサー自身にはエリートや富裕層に対する憎悪もなければ、アンチ・グローバリズムや反資本主義などのイデオロギーもまったくありません。 

同様に今回の容疑者も、安倍元首相の政治信条にはなんの関心もなく、カルト宗教団体に人生を破壊されたという個人的な恨みが犯行の動機とされています。しかし、背後からなんのためらいもなく2発の銃弾を浴びせるというのは、自分の行為が絶対的に正しいという確信がなければ不可能です。

報道でもそこがよくわからなかったのですが、〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉という投稿を見て、自分とジョーカーを重ね合わせていたのではないかと感じました。

記者─容疑者も「真摯な絶望」を感じていた? 

橘:今回の容疑者の特徴は、“絶対的な孤立”ではないでしょうか。すべてのメディアが彼の過去を追っているわけですが、2週間ちかくたっても、高校時代と自衛隊入隊、最後に勤めていた京都府内の倉庫のこと以外はわからない。

海上自衛隊を退職したあとは、ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引士などの資格を取り、複数の会社で派遣社員やアルバイトとして働いていたとされますが、

その間のことを証言する友人などはまったくいない。 秋葉原で起きた無差別殺傷事件(2008年)の犯人も孤立していましたが、それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいた。

映画『ジョーカー』では、アーサーは「自分はまるで存在していないかのようだ」と繰り返し訴えるほど孤独で、その“絶望”から狂気と妄想にとらわれ、ジョーカーへと変わっていきます。容疑者がアーサーに感情移入したのは、そこに自分と同じ「とてつもない孤独」を見たからではないでしょうか。

 ハロウィンの日にジョーカーの仮装をした24歳の男が、京王線内で男性の右胸を刺し、ライターオイルをまいて車内に火をつけた事件(2021年)がありましたが、日本の社会にはアーサー(ジョーカー)の造形に強く惹きつけられる男が一定数いるのでは、とも思います。 

記者─元記事では「非モテのテロリズム」にも言及しています。アメリカで「インセル(Incel)」と呼ばれる性愛から排除された若い男性による無差別銃撃事件が立て続けに起こったことを、橘さんは「社会への復讐」と分析しています。

橘:今回、投稿を読んではじめて「恋人に捨てられ」ていることがわかりましたが、フェミニズムへの批判やミソジニーへの言及もあることから、容疑者が自分をそこに加えていたかどうかはともかく、“インセル/非モテ”を意識していたことは間違いないでしょう。

若い男の最大の絶望は、社会的・経済的に排除されることではなく、性愛から排除されることだと『無理ゲー社会』などで述べてきました。容疑者は、そうした怒りが社会への憎悪に向かっていくことを自覚していた可能性はあると思います。 

ただ投稿を見ると、容疑者はジョーカーをたんなる「非モテ」ではなく、もっと巨大な存在だと考えていたようです。「憎む対象は社会全て」というのは、今回の行動がより大きな物語のなかでの「復讐」であることを示唆しているようでもあります。

すでに報道されているように、新興宗教団体に家庭や人生を破壊されたという強い怨恨があるのは明らかです。しかし、これを単純な因果関係で考えていいのかは疑問です。この教団に家庭を壊されたひとはたくさんいますが、そのほとんどは犯罪など起こしたりしないわけですから。 

だとしたら、逆の因果関係もあったのではないか。自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、40歳を前にして、社会からも性愛からも排除されているという現実を突きつけられた。

“とてつもない孤独”のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかを考えていくうちに、人生をさかのぼって教団を悪魔化するようになっていった。

 すべての困難の原因が教団にあり、自分は純粋な被害者(善)だとするならば、その教団とかかわっていた(とされる)元首相が絶対的な「悪」として立ち上がってくるという構図は理解できます。

確信があったわけではありませんが、容疑者の『ジョーカー』への思い入れがわかったことで、今回の事件も、京アニ事件(2019年)や大阪の診療クリニック放火事件(2021年)などと同じく「下級国民のテロリズム」の範疇に入るのだろうといまは考えています。

以上ですが、テレビなどで原因は統一教会だと言わんばかりであるが、この文に書いたことが理由だと一概には言えないとしても、ここに書いたように少なくとも、統一教会を憎んで安倍さんにというのは無理筋ではないかというのは言えるのではと思えます。

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