私は大概のことは分かるのよという人

人について

よく、私は大概のことは分かるのよとか、大概の人のことは分かるのよという人に限って間違えることはよくある。

何故こういう人はそう思っているのだろうか。こういう人にとって、世の中、人というのはなんかその人の頭の中でパターン化されていて、この場合はこう、こういう傾向の人はこういう人間だと思い込んでいるようである。

だが、世の中というのはそんな単純なものではない。万事そんな方程式通りにはならないものだ。

8割ぐらいはそれで処理できるかもしれないが、残り2割は例外的なもので、これはパターン化できないものなのだ。

だから、そういった人はその残り2割の事象、人に遭遇したら、多分失敗するはずである。そうしたとき、そういう人って自分の中でどうその失敗の原因を解釈しているのだろうか?

結局こういったことになっても、そのスタイルを捨てないのだろうと思う。

世の中というのは、単純に分かる事象だけでなく、複雑に入り組んで下手すると理屈、方程式の逆じゃないかと考えられる事象だってあるのだ。

世の中というのは、精妙であり神妙であるもので、だから面白いのであるし、だから、よくこんなこと起きるのかと予測できないことがよく起こるものだ。

本当の真理というものはそういうものであるのだが、こういった人たちというのはそういうことが分からないのだろう。

そういう神妙さを感ずる感性というのがないのかもしれない、だから、世の中は簡単にパターン化できると思えてしまうのかもしれない。それで失敗しても学習できないという。

こう考えると、そういう人たちはいい人生を送れないだろうなという帰結に達する。

私には大概のことは分かるんだという人に限って

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