高校無償化は維新が自民と組み法案が通り、そのせいで国民民主の103万円の壁を取り払う法案ができなかった。なのでえらい評判が悪い。そのために国民みんながその負担をするんだぞ!という論調で。まあ確かにそうであるが、視点を変えて見ると違う面が見えてくる。
それは、今言われているのは先駆けて無償化が行われた大阪で名門の進学校の公立校が定員割れになったと、これ公立校崩壊するんじゃないのという論調であった。
これは、今までは公立校というのは、お金がかからないということにあぐらをかいて経営してきた。そうやっていい加減にやっても潰れることがなかった。
私立はお金の面でアドバンテージがないので、その分経営努力をしてきただろう。生徒に付加価値を与えるための授業、世話とかそういったところが公立校よりもサービス、付加価値があったであろう。
これが無償化により同じラインに立つとすると、公立校もこれまでみたいにあぐらをかいていられない、付加価値を与えるために必死になるであろう、教師も無能な人を雇えないだろう。
話は私事になりますが、自分は偏差値50台の公立校出身者ですが、まあひどかった。教師の授業聞いても大学受からないなというのが数カ月で分かったので一切聞かなかった。
他の同級生は勿論真面目に授業を聞いたのにほとんどが大学スベリ浪人しても大学行けずに、そのあとどこか就職したか、フリーターになったかというレベルであった。勿論その就職は高校の紹介などない。
ほとんど彼ら教師は教育という行為をしていないかった。私から見たらこんなのアウシュビッツ収容所と同じだと思った。アウシュビッツ収容所は何時間かかけて命を奪うが、
私の高校は3年間かけてゆるやかに学歴社会で生きていけないようにするために緩やかに抹殺するというものである。これは私の出身校だけでなく、全国の偏差値50台から下の公立校はこんなものであろう。
全国のみんなが同じような想いをしてきたのだと思う。進学校以外の公立校なんてこんなものなのだ。ちなみに我が母校は私の卒業した10年後偏差値を10下げた、公立校なのにこんなに下げるって相当ヒドイ高校だったのだろう。
確かに最悪であったが。私の入学時ベビーブーム世代であったにもかかわらず、定員割れを起こしていたくらいだから、相当ヒドイ学校だったのだろう。
大体うちくらいの高校だと、教師は自己紹介で当時はやっていたのだが、何々大学出身ですと、それがたいがい三流か四流大学なのである。
それじゃ学問のセンスのない人に学問教えれるわけないのだが、そんな人ばっかだった地獄であった。これが公立校の実体である。進学校は違うのだろうが。
こういった現状なので、進学校以外の公立校は存立危機になるので、経営努力をせざるを得なくなるだろうし、無能教師は前より雇いにくくなるだろう、そうしないと潰れてしまう。
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