今は、岡田斗司夫さんによるとホワイト社会で人がよくないこと、気分を害することをした人を許せなくて、そういったことをした人は処罰されればいいという心理がはたらくという。特に若い人はということである。
だからホワイト社会は一見いいことのようであるが、処罰されればいいという心理がよくない方向にはたらいている。それによって、そういう人がいじめられたり、害を与えられたらそれはいいことなのであろうか?倫理的に問われることを何もしてないのに害を受けることもあるのである。
それはそれでよくないのではないか。今はそういう時代であるとのことである。
それどころか今は、悪いことをした人がそうされるのならともかく、悪そうな人、怪しい人、悪いことをしても何か重大な理由があってそうしてしまった人さえ責められるのだ。
ここまできたらこれは、おかしなことになってくる。これは処罰した人が悪になる。
悪いことをしたい人が、ホワイト社会によりできないから、悪い人の出現を待って処罰という口実で攻撃をする。そうすれば悪人にならない。責められないのだ。
でもそんなに悪い人というのはいないから、悪そうな人、怪しい人にも攻撃する。
だから今の人は何か悪い人が現れないかと手ぐすね引いて待っている状態という世相なのだ。
言わばカウンター社会といえるのではないか。今はそういう時代なのだ。これが果たしていいことだと言えるのだろうか。ホワイト社会という一見よさそうなことがこういうおかしな現象になってしまっているのだ。
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