観客席の日本人

世相
今の日本人は“評論家”が多いように思う。自分は人生という舞台に上がらず、何一つ挑戦せず、“観客席”からあーだーこーだーと物事、他人のやることに言っているだけなのだ。
“評論家”の発言が当たったとしても、ほとんど価値はないのだ。行動起こして成功した人に比べれば。それに評論なんか誰だってできる、小学生だって。
それに実際に行動を起こす場合と、ただそのことを評論するのとでは、実際にやってみた人なら分かるが、正解が違うのだ。
それをただ人に評論してこうだよと言っても何の役にも立たないのだ。
むしろ邪魔してるだけだ。一種の公害である。勇気を持って挑戦している人に対しての。
今の日本人はこういう種の人ばかりなのだ。自分で進んで舞台から降り、“観客席”に座ってあいつはこうだ、どうだと言ってるだけ、その人は1ミリも進歩しないし、1ミリも世の中に貢献しない。
何故そういう人ばかりなのかというと、それは主に学校教育、マスコミによる洗脳だろう。偏差値教育で、偏差値の低い人は、あなたはその程度の人間なんですよ、だから高望みをしてはいけないんですよ。と刷り込むのだ。それが、偏差値導入の目的なのだ。
テレビでもクイズ番組ばかりで、高偏差値の人は賢い、凄いと刷り込んでいる。それが目的でそういう番組ばかり放送するのだ。
あとマスコミでしきりにZ世代と取り上げるが、それの目的も、今はZ世代の時代でそれ以外の年寄りは挑戦しても無駄ですよと刷り込むために、そうしきりにはやし立てるのだ。
諸々のそれらによって、諦めさすのだ、自分は所詮無理だと。そして“観客席”に強引に誘導しているせいで、そういう人ばかりになるのだ。
それに“評論家”の言うことは所詮机上の空論に過ぎなく、それは実際とは違う。
日本人はあと、学校の授業、本などで得た知識が正しいと思い込んでいて、社会に出ても、それに基づいて判断している人が多い。本などの情報は所詮理屈で現実とは違うのだ。
ある問題について現実と理屈が異なる場合、当たり前であるが、現実の方が上に決まってる。
だのに、日本人は理屈を取る人が結構多い。それで間違っても、そのやり方を変えないのだ。私からすると不思議でしょうがない。
物事とは学校、本ではなく実社会で学ぶものだと言われているが、その当たり前過ぎることさえ分かっていない人が多い。
学校、本で得た知識を後生大事にしている。日本人には特にこういう種の人が多いように思う。
それで“評論家”になるのだ。だから学校教育、マスコミなどが意図してそういう方向に導いているのだ。
そのことに気づいて、その理屈の呪縛から逃れなければいけない。そして人生の舞台に立つ、それがいい人生にする方法なのではと思う。人の批判ばかりしてるよりよっぽど楽しいし、充実すると思う。
こういった人ばかりで人は官僚化していくし、世界になんか勝てるわけなんかないはずだ。

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