判断するということは

人について
上司になって、判断をするときに軽く、軽い気持ちで判断している人が多いように思う。
判断すると、ときによっては部下、人の人生を変えることだってある。
だがその重さを認識して判断できている人は、私の見る限り少ないように思う。
大概の人は、自分の思い通りに出来た、人を動かせたことに満足して、そのことに関わりのある人がそのあとどうなったのかということなんかどうでもいいかのようである。
自分の思考スタイル、自我を押し通せればそれで満足してしまうという人ばかりである。
例えば、人に相談されて、こうやったらと言って、その人がその通りにして失敗してひどい目に会ったって、ああごめんねって謝る人なんてほとんどいない。
そのくらい大体の人なんていい加減なのだ。
やはり判断を下すときは、こうすることによって、誰それが大変な目に会うかもなとか、自分が果たした判断は果たして正しかったのかなとか、
あとあとでも反すうするくらいではいけないのではないか。そのくらい重いものなのである。
それが、判断という権力を持った人の取る、最低限の態度なのではないのか。

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